絵画と我が人生 
 寄稿 : 松井健児さん
     

 小生は今年米寿を迎える。絵画なしでは現在の人生は存在しない。絵を描きたいから旅行をし、自由に旅をしたいから言葉を学び、体力が必要だから適正な食事をとり、ワインを賞味する。花を描きたいから、ガーデニングをする。最近始めた社交ダンスは基本に於いて絵画と共通点が多いことを発見する。日常の全て及び今までの経験の全てが画のテーマとなる。美しいものに憧れ、美術書を読み宇宙科学に興味をもち、自然をもっと知りたくなる。絵画が縁で多くの交流が生まれる。楽しい人々との交流は人生の生き甲斐と直結する。同世代の友人が次々と他界していくなかで新しい仲間が増えていくのは楽しいことである。飲み友達に不自由することはない。
 中学時代に憧れてた印象派の画家達の写生地を何時の日か訪ねてみたい希望を永年に渡って暖めていた。64歳で自由な身になると、早速実行に移した。単独の気ままな写生旅行であるからフランス語は必修である。旅を続けながらグルノーブル大学のエコールを計3ヶ月受講してなんとか自信を得た。

 ゴッホの有名な風景画は写生地点に作品のコピーが展示してある。教会や病院は当時と変らない佇まいをしている。キャンバスを立てて同じ風景の写生に取り掛かる。なるべく見たままの形状を追っていくと、ゴッホのデホルムの方が遥かに力強く面白いことが分かる。セザンヌのサン・ヴィクトワール山の写生地に出会うまで6時間歩き回ったこともある。一人旅には色々な出会いが待っている。シャトーを自宅にしているから見てくれと誘われてご馳走になったり、数日滞在した公園で帰校中の女高生と雑談を楽しんだりした。グラマーでは、町を見下ろす教会の庭で写生していると、シスターが誰の許可を得たかと睨み付けた。自然は神が創ったものだ。それを描くのに誰の許可がいるのかと質問すると、相手はしばし返答に窮した。早朝カルルカッソンヌで城を写生しているとき、ゴミ収集車の邪魔になることに気付き移動しようとすると、描いている邪魔をしたくないとわざわざ遠くに駐車してくれた。どちらの人がより神に近いのだろう。フランス人や英国人はマナーがよく、やや遠くから、見せてもらってよろしいですかと声をかけてくる。子供でも別れに作品を褒めることを忘れない。

 1泊5〜4000円以下のホテルを狙っていたが、真夏のラ・ロシェルで四星のホテルしか空きがなく、ロビーに入ると、ウエイトレスが小生の姿に怪訝な顔をしたので、すかさず私は絵描きだと言うと、途端ににこやかになった。流石に芸術の国である。毎回戻る度に作品の進捗度を見ることを彼女たちは楽しみにしていた。毎年1〜3ヶ月間旅行をしてフランスの全地方を一通り廻るのに12年を要した。周辺国でも写生し、オーセールで個展を開き地方新聞に2度写真入りで紹介された。また大家を含み数人の絵描きと出会い交友が続いたが、ポール・アンビーユは3年前に他界された。この12年間は小生の第2の青春ともいうべき充実したひと時であった。
 20回までやると決めた個展は後1回を残すのみとなった。35年前に立ち上げた虹の会は会員が50名を越え発展しつつある。旧制高校卒業生の全国展・白線展は31回展をむかえた現在、出品者の平均年齢は88歳となった。下手な絵でも続けているうちに範疇が広がり描きたい新しいテーマが次々と生まれてくる。絵で賞らしい賞をもらったことはないが、楽しんで絵を描き続けていくことで、結果として健康や交友をはじめ数々の人生の楽しみというご褒美を頂いている。今後も年数回の取材旅行と数回の展覧会を続けながら或る日突然、我が人生に感謝しつつこの世から静かに消滅したいものである。
  
     了