コーラスが繋いだ35年(2)
東京都合唱祭20回出場と
「MSアンサンブル」の門出

関東支部 小川(勝)さん 
 


本社事務所がお台場に移転したころ、会社のサークル活動に対する方針も様変わりした。サークルへの活動費助成がなくなり、部室もなくなった。バブルが崩壊し、いたる所で合理化が叫ばれていた時代である。見かねた諸井先生がご自分の事務所を使えと仰って下さり、甘えさせてもらった。

定演は途切れたが、東京都合唱祭は連続出場が続いていた。‟合唱団の存続か解散か”も議論され始めた頃で、とにかく「合唱祭20回出場までは頑張ろう」が合言葉になった。2003年7月6日、めでたく20回20年連続出場を果たした。

 東京都合唱祭 1992年7月5日
合唱祭出演の録音テープをもとにCDを作ることになり、大成さんの大奮闘の結果、20回分を3枚に収めた記念CDが完成、諸井先生や昔の仲間たちも集まり祝賀会を開いた。

合唱祭20回を節目に辞めたいという人もいれば、まだ歌いたいという人も多かった。メンバーの半数は退職しており、今後は会社と関係ない人の参加も考えられ、団名から社名を外し、新しい名前で再出発することにした。いくつかの候補の中から「MSアンサンブル(MSE)」が選ばれた。
3枚の記念CD
MSアンサンブルの由来は当初から明確ではなく、諸井昭二のMS説、諸井と昭和シェルからMとSを繋いだとか云われたが、耳に当る響きが皆さんに共感されたのではないかと思う。私は「もっと(M)素敵な(S)アンサンブル(E)を」という願いを込めたものです、と宣伝した。 

少し遡るが2001年から「諸井ヴォーカル・ファミリー・コンサート(MVFC)」がスタートした。諸井先生が指導していた合唱団が一堂に会して演奏を行うもので、合唱団“わだち”(混声)を中核に、コール・フェミナ(女声)、大妻高(女声)、東京電機大(男声)、それに昭和シェル(混声)の5団体が参加して毎年開かれた。


諸井先生とチェコの合唱曲について一言触れておきたい。諸井先生は1970年代中頃にチェコスロバキア(当時)の合唱曲と巡り合い、その魅力の虜になったらしい。先生が主宰する合唱団“わだち”の演奏を通してチェコの合唱曲を日本へ紹介し、その功績によりチェコスロバキア文化省から表彰されたり、“プラハの春音楽祭”に招待されたことがきっかけとなって、“わだち”とチェコの合唱団の相互訪問演奏旅行など数多く行って来た。
そんな経緯があって、2012年秋にはチェコの「プラハ混声合唱団」が訪日、演奏会が予定され、その年のMVFCにも特別参加する予定になっていた。もちろんプラハ混声の受入側の中心は諸井先生であった。ところがその半年前の2012年5月、諸井先生は急性心不全で帰らぬ人となった。MSアンサンブルはこれで解散か、と覚悟した。しかし、プラハ混声の訪日は予定通り、MVFCも開催すると告げられた。MSアンサンブルとしてはMVFCだけは出なくては、と考え、長年ピアノ伴奏をお願いしていた中村敏彦先生に指揮をお願いしたところ快く引き受けて頂いた。中村先生にはその後もずっと指揮とピアノ伴奏を兼ねていただき、MSアンサンブル解散の危機は一先ず乗り越えた。

MSアンサンブルとして活動を始めて以降、メンバーはパートによっては2人を確保するのがやっと、という状態になった。2017年からは一人欠けたままになり、助っ人をお願いしたこともあったが、恒常的な補完はできなかった。それでも毎年のMVFCは欠かさず参加した。新宿合唱祭にも数回は出場したが、メンバーが揃わないなどの理由で近年は欠場することが多かった。

2019年になってMVFCの実行委員会は、この年10月の第20回MVFCを最後の開催とすることを決定した。発表の機会が無くなったうえ更なるメンバー減も予見され、残念ながら「MVFCファイナル」を最後とし、2019年末でMSアンサンブルは活動休止を決断した。残った有志のメンバーで合唱に準ずるような何かが出来ないか考えようと試みた矢先、このコロナ騒動で集まることすら不可能となり、先が見えなくなった。


MVFCファイナル 2019年10月27日
アカペラ曲で中村先生も一緒に歌う(右端)


今は、お世話になった諸井先生や中村先生、支えて頂いた会社や社友会、そして苦楽を共にしたメンバーの皆さんに感謝の言葉を捧げるのみです。本当に有難うございました。 

(2021年1月15日)