コーラスが繋いだ35年(3)
音のハーモニーを支える心のハーモニー

関東支部 小川(勝)さん 
 


定演や合唱祭など数少ない晴れのステージの合間は、基本的には週一の練習のほか、合宿や旅行など皆で楽しく過ごす行事を数多く行った。“アマのコーラスは技術もさることながら、心のハーモニーがより肝心”などとほざいていたが、かなり真実であると今でも思っている。練習に出ようと背中を押してくれるのは、仲間に会えるから、仲間と一緒に歌えるから、である。35年も続けられたのは仲間に支えられた賜物と感謝している。

練習が終わるのが8時、それから夕食となるのだが、諸井先生は率先して参加された、というより率先して食事会を仕切っていた、という方が当っているだろう。話題は千差万別、皆が好き勝手なことを云いあう。時には先生が合唱に関して貴重な“持論”を発することもある。その時は納得したつもりでいても翌朝はコロっと記憶の外へ(どうして?)。あの頃レコーダーを持ち歩いて録音しておけば、後に貴重な「諸井語録」を残せたのではないかと今にして残念に思う。毎週楽しい時間を過すことが出来たが、コーラスの団結とメンバーの融和のためには、必要不可欠な時間と思っている。諸井先生が何時も参加して下さったのもみんなの絆を深める意図を行動で示されたのであろう。

昭和シェルコーラスの時代、毎年夏には野尻湖で合宿を行っていた。土日を挟んで3泊4日と決まっていた。

もちろん合唱の練習がメインである。合宿の頃には秋の定演の演奏曲もほぼ決まっており、練習の最重点はそれらの曲を細部にわたって丁寧におさらいする事にあった。
野尻湖と妙高山 1992年7月
コーラス練習 1992年7月
空いた時間は、昼間であれば湖で泳いだりボートに乗ったり、また野尻湖周遊サイクリングなどを楽しんだ。夕食を湖上で、遊覧船を借り切りディナークルーズと洒落込んだこともあった。野尻湖では毎夏花火大会があり、たまたま運よく日程が合うと大花火を鑑賞することもできた。時にはバスを借り切って戸隠方面へ散策した。

仕事から離れ、目的を同じくする仲間と一緒に自然の恵みの中で何とも贅沢な時間であった。MSアンサンブルになってからは、メンバー減、活動縮小などで合宿はほとんど行かなくなった。合宿といえば河口湖でミニ合宿もあったがほんの数回だった。


練習の無い旅行もメンバーからは歓迎されたし、諸井先生も参加された。先生の教え子のつてを頼って天竜峡温泉に宿を取った。
 ボート遊び 1992年7月
 水遊び 1992年7月

天竜下りの舟遊びや、妻籠・馬篭の散策も忘れられない。箱根や伊豆山の保養所も利用させていただいた。熱海に宿をとり、熱海梅園で梅の花を愛で、園内の中山晋平記念館を訪れたこともある。

声を合わせるためには心を合せることが絶対に必要である、という信念を通して来たつもりである。プロなら技術的にカバーできるところをアマでは心のハーモニーで補うという理屈である。先生から直接云われたことはないが、先生の団員への接し方から会得したものかもしれない。狙い通りのハーモニーが鳴ったときの満足感、楽しさはコーラスの醍醐味である。アマではめったにないこういう瞬間のために、練習を、ステージを、重ねているのである。

コンサートはおろか練習すらまともに出来ないコロナ禍の今、コーラスにかなりの軸足を置いていた当時を懐かしく思い出している。何よりもまだまだ若かった!

(2021年2月15日)