コーラスが繋いだ35年(4)
忘れられない感動のステージ

関東支部 小川(勝)さん 
 


この連載を始めるにあたり、忘れられない思い出のステージを紹介して欲しいと云われた。それぞれのステージにはそれぞれに思い出がある。MVFCのステージでは、楽しいステージもさることながら、中学時代の恩師が聴きに来てくれて何十年ぶりの再会に感激したり、会場がたまたま西東京市になった時には田無に住んでいた姉夫婦が娘一家を引きつれて聴きに来てくれたというハプニングもあった。しかし以下に紹介するのは申し訳ないが昭和シェルコーラス関係以外のステージを選ばせていただいた。

ウィーン楽友協会「黄金の間」の第九 2014年3月5日
(「婦人画報」2014年10月号グラビア)
 

まず、きわめてお上りさん的感覚ではあるが、ウィーンの楽友協会大ホール、通称「黄金の間」で第九を歌ったことである。海外演奏旅行はほんの数回しか経験していないが、2014年3月ウィーンを訪れた。「第1回 歌う第九 イン・ウィーン」という催しである。東日本大震災(2011年3月)のあと、被災地を訪れた「ウィーン少年合唱団」と「南相馬ジュニアコーラス(MJC)」との交流がきっかけでこの企画が生まれたらしい。

 
私は2013年に地元八千代市で第九を歌ったが、その参加者にウィーン行きの呼びかけがあり家内と参加した。全国から300名ほど参加したがそのうち八千代市からは40名ほどであった。

日本国内での練習が4回、ウィーンに着いてオケ合わせ、ゲネプロ、そして本番である。指揮はシュテファン・ヴラダーさん、管弦楽はウィーン室内管弦楽団、ソリストは日本人二人、オーストリアン二人、合唱はウィーン少年合唱団20名とそのOB20名、MJCの中高生22名、そして一般参加の日本人300名。

コンサートホールにあてられた「黄金の間」はご存知のようにウィーン・フィルの本拠地で、毎年ニューイヤーコンサートが開催されるホールである。見事にキラキラの黄金の間であるが、満席のお客さんを前に華やかな気分で歌えたのは最高の想い出になった。
楽友協会の前で記念撮影
2014年3月5日
八千代市から参加の皆さん
帰国後、日本の新聞に載った記事を読んだが、記事の主役はMJCとウィーン少年合唱団であり、我々は「その他日本人300人」と一まとめに括られていた。半年後「婦人画報」10月号に16ページにわたってグラビア特集が組まれていることを友人から教えられた。今年(2021年)のウィーンフィル・ニューイヤーコンサートの演奏をTVで観たが、コロナ禍で客席に聴衆はなく、何とも淋しいコンサートであった。おまけの話、八千代市の参加者はウィーンの後ブタペストに移動し、マーチャーシュ教会で20分ほどのミニコンサートを開いた。
 
 
ブタペスト マーチャーシュ教会のミニコンサート
2014年3月7日

次もウィーンの話。2009年7月、ウィーンのシュテファン大聖堂でモーツアルトのレクイエムを歌った。指揮はコバケンこと小林研一郎氏、管弦楽はハンガリー管弦楽団、合唱はハンガリーのプロ合唱団60名と日本からのアマ100名。歌い終わってアンコール曲を用意していなかったため、レクイエム12曲のうち7曲目の「ラクリモーサ」をアンコール曲として再演奏した。

ふと客席を見ると、最前列の上品な老婦人がハンカチを握りしめ目を潤ませながら十字を切り、手を合わせ祈る姿でステージを見上げていた。私たちの演奏が涙を誘ったというほど己惚れているわけではない。多分、ラクリモーサに何か特別な想い入れがあったのだろうと思うが、何とも胸にひびく光景で、大聖堂全体が一つの想いに包まれたと感じた瞬間であった。

 
ウィーン
シュテファン大聖堂
(出典:Wikipedia)
  虎ノ門ニッショーホール
(出典:ニッショーホールHP)

最後に紹介するのは、“ホール総立ち”で歌った「故郷」(Wikiへリンク)。2007年12月、虎ノ門ニッショーホールで、北朝鮮拉致被害者家族支援の催しがあり、アトラクションとして合唱のステージに上がっていた。これは内閣府の主催で中山恭子さんをはじめ当時の町村官房長官なども出席されていた。横田めぐみさんの映画や、ご両親とのトークショウ、南こうせつさんの演奏もあった。

最後に出演者全員がステージにあがり、会場の皆さんと「故郷」を歌うことになった。1番を歌っている時は何事も起きなかった。「いかにいます父母・・・」と2番を歌い出すと、客席の後ろの方から立ち上がって歌い始めたのである。起立の波は次々と前の列に伝わり、2番を歌い終わる頃には最前列におられた中山さんまで立たれてしまった。もちろん3番は会場総立ちである。あの会場は客席がかなり傾斜しており、上の方からステージに向って人の波が雪崩のように押し寄せて来る感じであった。

公立学校で「君が代」を式典で歌うとき、起立しない教員は教育委員会に報告され処罰されるとか、という時代だったから、「故郷」こそ“国歌”の品格を備えた歌ではないかと真実思った。演奏後のスタンディングオベーションはよくあることだが、ロック・フェスならともかく、誰が指示したのでもない“総立ち合唱”で最後を飾ったのは後にも先にもこのステージだけである。

(2021年3月15日)