白瀬南極探検隊記念館紹介
(平沢支支部  工藤さん提供)
*下記写真は記念館から提供を受け、社友会HP掲載の許可を頂いています。
 

記念館外観(空から
にかほ市出身の白瀬矗の南極探検を記録した館(やかた)として平成2年4月にオープン。記念館は黒川紀章氏設計で円錐形の形態は「氷山」を暗示しているとも言われています。            
 
日本人で初めて南極点に到達した雪上車
昭和43年村山雅美隊長(第9次越冬隊)が南極点到達したときに使用した大型雪上車[KD605]    
*2014年機械遺産に指定*
 
探検に使用された「開南丸」の船尾

白瀬隊を乗せて南極に向かった開南丸
明治43年(1910年)11月29日東京芝浦を出港
 
白瀬 矗(のぶ)隊長


記念館パンフレットから「探検隊の歩み

明治43年11月29日、東郷平八郎元帥が命名した開南丸(204トン、18馬力、木造船)で隊員・船員27名を乗せ東京芝浦から南極に向け出港 。
明治44年2月8日、開南丸はニュージーランド・ウェリントンに寄港。11日出港。3月14日コールマン島付近で氷海に阻まれシドニーに戻る。 
明治44年11月20日、開南丸シドニー出港。 
明治44年12月14日、ノルウェーのアムンゼン隊南極点に到達。 
明治45年1月16日、白瀬隊が南極大陸初上陸。南緯78度17分、西経162度50分。ここでアムンゼン隊のフラム号に出会う。 
明治45年1月17日、イギリスのスコット隊、南極点に到達するも帰途、全員遭難。 
明治45年1月20日、白瀬隊長以下突進隊5名が犬ぞりで南極点に向かって出発。 
明治45年(1921年)1月28日午前零時20分、南緯80度05分、西経156度37分に到達。 日章旗を掲揚し「大和雪原」と命名。現在、地名情報システムにYamato Yukihara Camp Siteとして登録
明治45年6月20日、開南丸は延べ4万8000キロ、1年7ヵ月の長旅を終え、一人の犠牲者も出さずに東京芝浦に到着。