永年勤続バッジ3種 と
  ペクテンの変遷が分かる金属製ブックマーカー
(関東支部)伊達(隆)さん 

皆様お元気ですか。ご無沙汰をお許し下さい。

小生は前々回の東京オリンピックの前年、1963年4月に当時のシェル石油に入社し、6月頃大阪支店販売部に配属されました。当時あの名車ダットサンからモデルチェンジしたばっかりの日産ブルーバードに乗って、京都府、滋賀県、兵庫県そして北陸の一部と、広大な担当エリアを元気いっぱい走り回っていました。当時お世話になった会社や特約店の皆様方、お元気でしょうか。

その後担当が変わり大阪府内を走り回り、1966年6月6日付けで本社計数管理部にシステムアナリストとして転任しました。1971年に運良く会社派遣留学生として渡英し1973年に帰国しました。この年、入社からちょうど10年目で永年勤続バッジを頂戴し感慨を覚えました。それから5年後の1978年にはルビーの付いたバッジを頂戴しました。

第二次オイルショックのこの年に本社流通業務部企画課に転任し今お世話になっている社友会事務局の難波さんと三年間ご一緒させて頂きました。その後も何度か転任を繰り返し1983年に20年のサファイア永年勤続バッジを頂戴しました。いよいよ日本が低成長時代に突入して行った時代の始まりでした。

1988年には一旦離れた流通業務部に戻り福岡や東京で勤務し、1994年に本社流通業務部長を拝命致しました。それから数年間、当時の守屋常務取締役の力強いご指導の元、流通部門の大改革のお手伝いをさせて頂きました。

多くの同志と過ごした血と汗と涙の数年間は小生の心の宝物、見えないが珠玉の心のバッジとなりました。この時代にお世話になり、身を切ってご協力頂いた多くの皆様方に改めて心より御礼申し上げます。

ところで勤続21年以降、永年勤続表彰がどうなったのか小生は知りません。どなたかご教示願えれば嬉しく存じます。 ご拝読有難うございました。  
(2022年9月15日)