軽井沢で見つけたシェルグッズと思い出の名札
(関東支部)稲光(慶)さん 
 ① 軽井沢で見つけたシェルグッズ

軽井沢にはコロナ前は年に2回(春と秋)旅行をしています。このグッズはその旅行の時に見つけたものです。このグッズを買った店は、軽井沢駅から旧軽井沢の方へ歩いて行き、丁度、中間の所にある店で、店主の方が世界の国々を回って気に入ったものを買ってきて販売している店です。旧軽井沢からホテルのある軽井沢駅の方へ歩いていた時に見つけた店で、それから軽井沢へ行くたびに寄っていました。

このグッズは店主がイギリスへ行った時に立ち寄った雑貨屋さんで買ったものだと言っていました。不思議なもので、シェルの貝マークを見ると、衝動的に買ってしまいます。愛社精神ですかね。または貝マークへの執着心ですかね。

残念ながら、2015年の春に行った時は、この店は無くなっていました。イギリスで買ったというのは本当なのか、判りませんが、店主を信じて今も大事に保管しています。本来の「会社にまつわる思い出の品」ではないですが、シェルの貝マークを愛する者には大切なものだという事で投稿させて頂きました。

*******************
 ② 入社して3年間胸のポッケに着けていた名札

1971年4月に大阪支店に入社して、訓練課に配属して、大阪の南の方にある昭和通給油所(直営)に勤務している時から販売2課勤務まで身に着けていた名札です。

昭和通給油所では2年目から掛売の集金人をしていて、大阪のおっちゃん、おばちゃんは「こんにちは」と訪ねたら第一声が「今月、なんぼまけるねん」という塩梅で駆け引きが上手になりました。私でも挨拶として「儲かりまっか」「ぼちぼちでんねん」が使えるようになりました。その昭和通給油所も1973年で閉鎖となり、給油所はそのまま特約店に移行されました。

給油所閉鎖に伴い、訓練課の一員として支店勤務になりました。思い出は「伊吹山」でのモビレージ開催でした。夜は天候が荒れて初めて雷が横に走る様子を見てビックリするやら怖いやらで本当に記憶に強く刻まれる一夜でした。その後、販売2課のセールスマンの「ひよっこ」として頑張っていたのですが、色々な事が起こって、「お前は油を売る所ではなく油を貯めて出す所へ行け」と横浜油槽所への転勤となりました。

今、振り返りますと、大阪支店の3年間で色々な事が有りましたが、私に取って最大の成果は支店のクラークをしていた今の奥さんと結婚できたことですかね。今年の11月17日で結婚満48年、奥さんには感謝しかありません。この一個の名札には色々な人との出会いや大阪での経験が思い出されるものとして今も大事に保管しています。

(2022年11月15日)