(関東支部)三富さん 

昭和シェル社友会事務局が入っている帝劇ビルは千代田区丸の内にあり、このエリアの丸の内、有楽町、日比谷界隈は明治以降、日本の近代化をリードしてビジネスの一大拠点、エンターテーメント・アミューズメント(劇場、映画館)の中心として発展してきました。その中で皇居外苑と日比谷公園が緑のオアシスになっています。
11月下旬に日比谷公園の紅葉が見どころになりましたので、紹介します。
ちなみに日比谷公園の歴史を紐解くと日比谷公園は明治36年に日本初の洋風近代公園として開園しました。
日比谷(ひびや)は、徳川家康が江戸に入府する前からこの辺りは「日比谷入り江」と呼ばれる海が入り込む場所であったのが由来とのことです。江戸になってから、この地は埋め立てられて大名屋敷となり、明治以降は陸軍練兵場になりました。その後、練兵場が青山に移転した時の跡地利用で近代国家の首都東京にふさわしい近代公園の設置が望まれ、明治22年に公園設置決が決まりました。その後、設計者が決まらない等、紆余曲折を経て明治36年にやっと開園となりました。
開園と同時に園内レストラン「松本楼」ができ、当時は、ハイカラさんは、ここでカレーを食べてコーヒーを飲んだそうです。今でも松本楼のカレーは有名です。日比谷公園音楽堂(野音)、日比谷公会堂等が整備され現在に至っています。松本楼は孫文とも深い繋がりがあることは有名ですね。
公園に面した日比谷通り沿いの建物も150年の間に変遷しています。既に明治、大正、昭和初期の建物はありませんが、その後建替えられた1960年(昭和35年)から80年代(昭和50年)の建物も現在、超高層ビルでの再開発が予定されており、あと15年後にはこの界隈の様相は大きく変わることでしょう。
ちなみに昭和4年竣工の三信ビル(昔、シェル石油東京支店がこのビルに入居していてOB会(三信会)があります)は東京ミッドタウン日比谷になっていますし、鹿鳴館・華族会館跡地(旧大和生命ビル)、勧業銀行本店(みずほ銀行本店)はすでに再開発がスタートしています。明治23年開業の帝国ホテルも建替え計画(全体完成は2037年と先の話です)が発表されました。
そう言えば、日比谷野外音楽堂はライブのメッカで我々世代には矢沢永吉のラストライブ、キャンディーズの解散宣言を思い出します。2023年には野音100周年記念事業が計画されていますので、是非、行ってみたいものです。
 2022年12月15日掲載