富田(純)さん 

 一昨年(2019年)の8月からサウジアラビア王国で個人の観光ビザを発券することになり、時間の調整をして昨年(2020年)の2月に行くことにした。コロナ問題が起こった頃ではあったが、スターアライアンスの世界一周チケットを求め、シンガポール、ムンバイ経由で、首都リヤドに翌日午後に到着し、インターコンチネンタルホテルに入った。
 まず始めに週2便のため、リヤドより北方900kmのアル・ウラ空港にサウジアラビア航空で飛んだ。東京で手配しておいたホテルの迎えが来ていないので、空港職員に頼んで電話をしてもらうと、15分位で車で来たが、連れて行かれたホテルはフロントもなく、部屋はシャワーもあり、しっかりしていたが、誰もいなくて、不安なので、迎えの運転手に話した。
 
英語が解らず、手まねでやっと解って、街中のホテルに連れて行ってくれた。その小さなホテルのフロントは英語が話せて、一番良い部屋を2泊でいくらと言うと、$600というので、2泊で$500にさせて泊まった。レストランはなく、近く(100mぐらい)のレストランと小さなコンビニに行き、夕食や朝食を食べる事とした。部屋はリビング、寝室、シャワールーム、トイレなどがあり、きれいにはなっていた。  

【世界遺産:アル=ヒジュルの考古遺跡(マダイン・サーレ)】
 ユネスコ世界遺産はサウジアラビア国内に5ヶ所あるが、今回主な3ヶ所に行く事にしていたが、その中で一番と思われているものが、このアル・ウラの街より車で1時間程の所にある「マダイン・サーレ」(アル・ビジュルの考古遺跡)である。翌日のタクシーの手配をしてもらった。翌朝タクシーは郊外のバスセンターまでしか行かず、そこで行きたい場所のチケットを買い、何台かあるベンツのバスの中で、自分のバスを探して乗り、40分程してヘジャス鉄道のマダイン・サーレ駅跡に着いた。ヘジャス鉄道は「アラビアのロレンス」に出てくる鉄道で、イスタンブールからメッカへ続く計画で造られたが、ロレンスが守ろうとした鉄道も1917年には破壊されてしまった。ここで全員バスを降り、200m程歩いて、ここにだけに残っている列車(ホテルになっている)や機関車、博物館、物産館などを見学し、別のベンツバスに乗るのだが、先のバスも、このバスを超高級で日本で買えば1億円もするものであった。また30分程走って、マダイン・サーレの遺跡に着いた。非常に広くて、昔の街は砂漠になっていたが、岩山を削って造られた都の跡や、墳墓群が残っていた。ヨルダンのペトラ遺跡と同じ、ナバタイ人が造ったもので、その昔、砂漠の中で、北と南を結ぶ街道の中継地として繁栄したのであろう。

「アラビアのロレンス」の列車(今はホテル)

冷房完備のベンツバス

マダインサーレの入り口

岩山の墳墓


【世界遺産:ディルイーヤのツライフ地区】
 アル・ウラ空港から空路リヤドに戻り、車で30分程のリヤド近郊の世界遺産「ディライーヤ」(ディルイーヤのツライフ地区)を訪れた。ここはサラード王家が初めて都と定めた街である。19世紀始めにオスマン帝国によって廃墟となったが、リヤドに移った現王国がサルワ宮殿跡やモスク、ファハド宮殿を修復した。
 リヤドには国立博物館や、キングダムセンター、アル・ファイサリア・タワーなど高層建築も多い。
 

ディルイーヤの遺跡 (リヤド郊外)

タワーよりの街の景観(リヤド)

 《 リ  ヤ  ド  国  立  博  物  館 》

岩絵

メッカの模型

日本の東北地区工芸展


【世界遺産:メッカの玄関にあたる歴史都市ジェッダ】 
 リヤドから空路1時間程で紅海に面した世界遺産ジェッダ(メッカの玄関にあたる歴史都市ジェッダ)の街に至る。イスラムの聖地メッカの西、約70kmの所にあり、門前町となっている。夜空港から街に入るのに電気がやたら多く、光りの町の感じがしたが、昼間見ると古い建築が目立った。スーク地区はアラブらしく、ショールパトリー・ハウスには彫刻品や工芸品が多く、展示されていた。インターコンチネンタルホテルは快適であった。 

ジェッダの夜景

ジェッダの歴史地区

 ジェッダから空路イスタンブールにトルコ航空で飛び、西アフリカのセネガル、モーリタニア、モロッコを廻り、フランクフルト経由でメキシコに2泊して、サンフランシスコ経由で帰国した。どこの国も入国時にコロナのチェックは厳しく、成田空港が一番楽であった。
 サウジアラビアのユネスコ世界遺産はあと2つ「アハサー・オアシス進化する文化的景観」と「ハーイル州の岩絵」がある。「アハサー・オアシス進化する文化的景観」はガワール油田のあるダンマンの近くのオアシスをうまく利用した農業施設で、「ハーイル州の岩絵」は砂漠の中の岩絵で、今回は訪れることは出来なかった。(2021年2月15日)