1.まえがき
  (元)社友会平沢支部長 工藤 兼勝さんが社友会に平沢製油所の歴史、生産状況、工場写真、社員写真などを掲載されているのを拝見し、非常に懐かしく思うとともに重要な歴史として後世まで残すべきと感じました。 私にとって平沢製油所とのかかわりが多いので、想い出を書きます。
 
2.研修時代
  私が昭和石油(株)に入社致しましたのは昭和28年(1953)4月1日です。 同期入社は7名で写真をご覧ください。研修は平沢製油所で約1ヶ月行われました。 平沢駅前の旅館に合宿して、徒歩数分の製油所に通勤し、燃料油の製造方法と製品の種類、潤滑理論、潤滑油の製造方法と製品の種類の講義をうけ、石油製品全般の試験、分析を実習致しました。新津所長をはじめ製油所の方々はわれわれを歓迎してくださり、親切に丁寧に指導してくださいました。この研修時代がその後の私の石油人生の基礎となり感謝に堪えません。
3.電気絶縁油の開発
  1954年変圧器の大手メーカー日立製作所より電気絶縁油の規格が提示され、これに合格するために石油各社はしのぎを削った。当時の電気絶縁油は流動点の低いナフテン系国産原油からつくられており、添加剤の使用は認められなかった。本規格は非常に厳しく、最も重要な酸化安定性は銅触媒の存在下、120℃で100時間酸化させ酸化油の酸価0.25mgKOH/g以下、スラッジ0.2wt%以下というものであった。合成酸化防止剤が使えないので油中の天然酸化防止剤の活用がこの研究のポイントである。平沢製油所製の現行市販トランス油のグレードアップを行った。 日立規格に合格する油は最適芳香族性が必要なことがわかった。硫酸精製法によって精製度の異なるA油とB油を製造し、AとBをある割合で混合することにより、日立規格に合格する油の製造に成功した。日立に独占的に納入され、会社に大きい利益をもたらした。私はこれを小説「人生は90パーセントが運」「研究と愛は永遠に」(2017)で発表した。小説にでてくる優秀な女性研究者、神谷 京子さんは私と同期入社の角 京子(かど けいこ)さん(大阪大学理学部化学科 昭和28年卒)をモデルとしている。
4・高塩基性舶用シリンダ油の開発
  1960年残渣燃料油を用いる大型船舶機関のシリンダライナーの摩耗を防止するために、高塩基性舶用シリンダ油の開発研究を行った。米国石油会社の潤滑油を入手して、分子蒸留、シリカゲル・クロマトグラフィー、赤外線吸収スペクトル分析、元素分析の結果、塩基価300mgKOH/gの白色結晶を得て、構造は過塩基性Ca-スルフォネートであることが判明した。また基油はパラフィン系よりもナフテン系の方が燃焼生成カーボンがやわらかく、シリンダライナーを傷つけないことがわかり、平沢製油所の斉藤課長、谷川係長の協力を得て、重質ナフテン基油を製造して頂き使用した。我が国で最も早く高塩基性舶用シリンダ油を開発製造出来た。シリンダライナーの摩耗も従来の1/5ないし1/10となり大好評を得て、販売が伸び、我が社に多大の利益をもたらした。私はこれを小説「愛と青春の追憶」(2004)にて述べた。モデルの女性は角 京子さんである。
5.潤滑油研究
  潤滑油ほど奥行きの深い化学物質はない。くめどもくめどもつきることのない学問の泉でもある。トライボロジーは正に永遠の石油技術者のテーマである。潤滑学会創立50年を経て、今や、我が国の潤滑油、グリースの品質は世界最高レベルであり、学術的にも多くの業績を残しており、学会の果たした役割は大きい。次の100年に向かって新たな一歩を踏み出してゆきたい。以上
 
 
 2023年3月15日掲載