7月1日から15日の期間は博多の街は山笠一色に染まり、期間中は締め込み、法被姿の町衆があちこちで見られます。

起源は諸説ありますが、一般に広く知られているのは聖一国師が仁治2年(1241年)博多の街に疫病が流行り疫病除去のため、施餓鬼棚に乗って祈祷水を撒いたのが始まりと云われています。

期間中は、町内ごとに勇壮豪快な7つの「舁き山」と絢爛豪華な14の「飾り山」が見られます。

クライマックスは7月15日早朝4時59分、大太鼓の合図でその年の「1番山」が「櫛田入り(博多の総鎮守櫛田神社)・奉納」し、7つの山を代表して1番山に許されている「博多祝い唄」の大合唱の後櫛田神社を出発。2番山から7番山までが次々に「櫛田入り」し博多の街を駆け抜けながら、終点の「廻り止め」までの5kmのタイムを競い合う勇壮な祭りです。

提供:九州支部